たぬきや総本家狸庵(RIAN)
信楽焼きのたぬきの元祖「狸庵」ご自宅の信楽焼のたぬきを裏返してみてください。そこには「狸庵」の銘が入っているかもしれません。

まる八徳利の狸の置物は江戸時代から存在していたようですが、今日、陶器狸といえば信楽と言われるほど日本中に信楽狸を浸透させた第一人者は、この「狸庵」初代の藤原銕造さん(明治9年生〜昭和41年)であり、信楽狸の元祖と言っても過言でないのが、このお店「狸庵」さんになります。

三代目 狸庵 藤原一暁作 「ひねり狸」シリーズ

信楽焼 たぬきや総本家 狸庵のひねり狸 一覧

三代目「狸庵」の藤原一暁氏が手作りする「ひねり狸」は味のある顔が大人気の信楽焼たぬきです。一つひとつ手作業で作成するため、顔や表情が微妙に異なります。


信楽焼 ひねり狸(黒・小)

信楽焼 ひねり狸(黒・小)

信楽焼 ひねり狸(茶・小)

信楽焼 ひねり狸(茶・小)

信楽焼 ひねり狸(黒・中)

信楽焼 ひねり狸(黒・中)

信楽焼 ひねり狸(茶・中)

信楽焼 ひねり狸(茶・中)

信楽焼 ひねり狸(黒・大)

信楽焼 ひねり狸(黒・大)

信楽焼 ひねり狸(茶・大)

信楽焼 ひねり狸(茶・大)

たぬきや総本家アクセスマップ
狸庵の歴史

三重から9才の時、京都の伯父のもとに引き取られ、清水で修行、11才頃からロクロをひいていたといわれる初代の銕造さんは、その修行中に音羽川河原で大小の狸たちが跳ねたり、クルクル走りまわる、いわゆる狸の腹鼓を目撃され、「可愛いなぁ」と記憶に留められていたとか。

銕造さんはその後昭和10年頃に日本一大きな土瓶制作依頼を受け、大物なら清水より信楽でと思い立って移住されますが、夢で「狸をつくりなさい」とのお告げを受け、陶製狸の置物づくりに専念されることになります。

可愛い顔立ちの【現代風】タヌキを造った一代目狸庵は、地元信楽でその作り方を教え、発展に尽力しました。狸庵で修行をした職人たちは、自分たちの窯で次々とタヌキ造りをはじめ、現在ではタヌキづくりの窯元は20以上に及んでいます。

昭和天皇の詠で信楽狸が大流行

当初はコツコツと作られていた狸ですが、昭和26年11月に、昭和天皇が信楽を行幸された際、沿道に旗をもった陶製狸を並べてお迎えしたことを、天皇が大変お気に召され、「をさなどき あつめしからになつかしも 信楽焼の狸をみれば」と詠われた歌がマスコミ報道されたのをきっかけに、信楽狸が全国的に大流行することになりました。

そのエピソードはマスコミに取り上げられ、信楽タヌキも一躍、有名になったのです。 全国から注文が入るようになり、「縁起が良い」「愛嬌があって可愛い」ともてはやされ産地の名物として定着してゆきました。八相縁喜で縁起の良い置物と評判になり、信楽は観光で町中が「狸」「狸」「狸」・・・・と文字通り、タヌキだらけになりました。

初代、藤原銕造が信楽狸の基礎を築くまで

狸のやきものは、江戸時代から茶道の道具として、すでに焼成されていました。しかし、今万人ウケしている信楽だぬきは、楽しさとこっけいさと愛嬌が全身からあふれた初代【狸庵】の藤原銕造ふうのタヌキがその原型となっているのです。

初期の作品スタイルは、今の信楽狸よりも野性的でしたが、だんだんと愛らしいスタイルに改良されました。たとえば本物の狸のように前に突き出した鼻は、配送のときに割れてしまうので、ぐっと低くしました。 そのように工夫をしていく上で、やはり顔も可愛いほうがいい、お乳も大きいほうが良い、腹も白いほうが良い、おなかは太っ腹のほうが良い・・・そんなふうにして、次々と工夫をこらし、愛嬌ある可愛いたぬきが出来上がっていったのです。

今も信楽で狸を作りつづける三代目

今もその伝統を守りつづけながら、声を大きく宣伝することもなく、職人としてこだわりの元祖タヌキを静かに焼き続ける三代目藤原一暁氏。その工房では一代目から三代目までの貴重な作品が展示されており、愛らしくも芸術的ともいえる信楽狸のルーツを見ることが出来ます。

好みは人それぞれでしょうが、訪れたお客さまの大半の感想は「狸の愛嬌が違う」「お店に入ると元気になる」などで評判も高く、これは元祖のお店のなせる技でしょう。

お店の2階には初代からの作品が展示され、徳利狸から派生した様々なユニーク狸の作品も陳列されています。現在三代目を継がれている藤原一暁さんも、陶器作家としての腕を磨き狸作りに情熱を注がれています。ユニークな狸としては、ケーキ屋さんから依頼のあったケーキ狸や警官狸などを考案。これからは鋳型の狸は止め、より手づくりの作家性と腕を活かした信楽狸の創作に専念されるそうです。

陶器狸のコレクションに狸庵さん作の狸を是非加えてみてください。

福を招く!信楽狸の八相縁喜