信楽焼の歴史とこれから

1.謎のベールに包まれた都、紫香楽宮。

信楽の歴史と信楽焼きについて

天平時代に聖武天皇がこの地に都を移し「紫香楽宮」を造営したのは、およそ1250年前のことです。政治の中心地となったのはわずか5ヶ月でしたが、人臣の賛同を得られず、また天災などが続いたため、都は平城京へ戻されました。


信楽にあった紫香楽宮を再現した模型

※発掘調査をもとに当時の紫香楽宮をコンピューターグラフィックで再現したもの。


遠い山奥にたたずむ信楽の地が都に選ばれた理由は謎ですが、遺跡の調査により、聖武天皇の並々ならぬ思いを注いだ仏都紫香楽宮造営の内容が明らかにされつつあります。


信楽にある紫香楽宮跡から発掘された布目軒瓦、鎧瓦

※紫香楽宮跡から発掘された布目軒瓦、鎧瓦。


造営の際に焼かれた瓦、須恵器などが遺跡から出土されていることから、信楽焼のはじまりとされていますが、陶器産地としてのはじまりは、13世紀後半とされています。


信楽にある紫香楽宮跡に残された257個の石

※今も紫香楽宮の跡に257個の石が整然と残っている。

2.信楽焼の特徴

信楽の粘土は、古代琵琶湖の湖底堆積物(古琵琶湖層群)が分布した地点で採られており、その成因は、花崗岩の風化生成物の堆積したものと考えられています。 結晶が荒い花崗岩は、風化しやすく、やきものに良質な土となります。


信楽焼の特徴は、「火色」の発色と、自然釉による「ビードロ釉」と「焦げ」にあります。土味、窯味の、味わい深さは、侘び寂びを好む茶人にも愛されてきました。


信楽焼 大壺(16世紀末) 信楽焼 せんべい壺(16世紀末)
大壺(16世紀末) せんべい壺(16世紀末)

3.信楽焼の進化

江戸時代に登り窯が使われるようになってから、日常品がたくさん焼かれました。ライフスタイルの変化に合わせて、信楽の土もその形を自由に変貌していったのです。


たとえば・・・


●暖房具の「火鉢」は江戸時代から増産されつづけ、 戦後は全国生産高の90%を締めていた。(1950年代後半から1970年代にかけては電気、ガスの発達により減衰する。)


信楽焼の火鉢の製造風景


●1965年(昭和40年)ごろからは「植木鉢」が主力商品になる。


信楽焼の植木鉢たち


●陶器で作った「タヌキ」の置物、愛嬌があってひょうきんな「信楽たぬき」は、 1951年以降、現在も日本全国で親しまれている。


信楽で天皇を迎える日本国旗をもった信楽焼のたのき

1951年、天皇が信楽へ訪問の際、 信楽の道沿いに「たぬき」を並べて歓迎したのが、一大ブームのはじまりです。


信楽焼のたぬきたち

今日も「たぬき」は信楽のシンボル。信楽のまちに入ると、あちこちに、狸の置物が目に入ります。


信楽焼の花器

現代ではガーデニング用品、 食器、調理器、花器、建築用素材など、 ライフスタイルに合わせて、さまざまな製品が生まれています。


4.信楽焼の未来へ。

需要過多の時代となり、現代ストレスや、環境問題が問われる今、信楽焼を「モノ」としてではなく、空間化し、時空間そのものを商品化するような発想が求められています。


紫香楽ラボでは、新しい時代に向けて、人々の心と体、環境や自然への配慮された新製品づくりを目指しています。 そんな未来型プロダクトの数々を、毎日の暮らしにお役立ていただければ幸いです。


信楽焼 一夜漬け鉢